お侍様 小劇場 extra
〜寵猫抄より

   “花闇の宵”


普通一般の樹花は、陽あたりのいいところから順々に、
あちこちの枝のそれが次々に咲いてゆくため、
花の時期を長く楽しめるものが。
この花だけは ちと違い、
一気に咲き満ちて人々を圧倒し、
且つ、そのまま一気に散り急ぐ様が何とも圧巻。

小さな一輪だけを見る分には白い花のようでもあるが、
一気に咲いての ずんと集まれば、
はなびらへうっすらと含まれた、それは秘やかな緋の色も増し、
結果 その空間を仄かな艶で染め上げる。
まだまだ夏ほどには深みも弱い青空や、
曇天催いの白っぽい花曇りを背に負うても、
それでもその存在感は堂々としたもので。
たとい夜陰の中でも、
かすかな月光を弾いての、それは妖しく照り映えて。

 重苦しい冬籠もりから解放された人々にとっては、
 その華やかな存在感が、春そのものでもあるほどなのだが。
 色味や作りの清楚さとはまた別の何かしら、
 神憑りな底力を持つ存在だからでは との言われも
 少なからずの多々あったりもして…。




     ◇◇◇


これもまた 春という芽吹きの季節の孕む、
目には見えない“力”の現れか。
日が長くなったこともあっての、
活力増した昼の精気が余韻となってか甘く滲む夜陰の中。
天穹から無心に見下ろす月の明るみが、
地上の様々を白く照らして今宵は妖しい。
昨日までの猛威の名残りか、
時折 若枝を引き千切らんとするほどもの風が吹いては、
そのたびに夜気も研がれ、その冴えを取り戻すものの。
青ざめていた月光がふと まろやかな光と化し、
何だろと見上げれば、
千切った和紙のような群雲が端から掛かりてのこと、
地上に落ちたもろもろの影を滲ませ、
やがては闇との境も これ曖昧となってゆくばかり。

 「………。」

先日、冬のそれから春物へと掛け替えたカーテンを透かし、
月光に照らされることでくっきりと描かれていた窓枠の影も、
例に漏れずのこと、じわんとした曖昧な明るみへと入れ替わる。
懐ろに掻い込んでいた連れ合いの静かな寝息、
耳を澄ましてわざわざ聞き入り。
熟睡したままのようだと確かめると、
少しほど顎を引き、白い寝顔を覗き込む。
この時期にそれは華やかに咲く桜花の如く、
わずかな明るみを得て十分に、
月峨の窓もこのようかと輝くは白皙の美貌。
ただただ無心に眠っているだけだというに、
骨張らずなめらかな頬や、
そこへと伏せられたまぶたの
ゆるやかな縁に添う淡い影の儚さが何とも言えず。
繊細そうな鼻梁の下には、
知的に引き締まった 形のいい口唇が
深い眠りにもほどけぬまま、軽く合わさる品のよさよ。
寝乱れて頬に耳朶に掛かる金絲の燦きも添えられて、
神々しいほどの瑞々しさなのが、何とも眼福…な筈が。
今宵だけは、

 “…困ったものよの。”

同じ寝具にくるまる供寝の壮年殿へ、
何とも微妙な微苦笑をもたらしてもおいで。
勘兵衛の遠縁にあたる、七郎次というこの青年。
風貌のみが美麗にして優れた存在…なだけでは収まらず、
しっかり者で聡明透徹な逸材でもあり。
壮年殿の、作家として、はたまた家作の家主としての、
色々様々な難題や面倒ごとを全て、
時にはそれも絶妙な才による機転を利かせ、
時には豪胆さで睨みを利かせて、
たった一人で見事に取りまとめておいで。
勘兵衛が世に言う“流行作家”となり、
誌面や世間への露出も増えての、何かと忙わしい身となっても、
専門家を雇い任せる必要なぞないまま、今に至っているほどであり。
なればのこと、
さぞかしきっぱりとした合理主義者かといや そうでもなく。
人の機微というものにも深く通じているし、
闊達に見せて、実は彼自身もずんと繊細な気概をしてもおり。
小さな仔猫の愛らしい差に身をもむほど喜ぶかと思えば、
いつの間にか育っていた恋慕の情を、
されど相手には迷惑かも知れぬと先読みし。
そして、そうとされたなら
自分の傷つきようもいかばかりかと恐れるあまり、
見ない振りをし続けていた彼でもあって。

 “そこだけは存外と臆病者でもあったのだがの。”

ああだが 自分だとて、そんな彼を“小心者よ”と笑えはしない。
その身をゆだねてまでしているにも関わらず、
意識のどこかに一線引かれたままというのが、
何とも歯痒くて居たたまれなかった大人げのなさは、
もはや隠しようがないのだし。
そもそもの切っ掛けを、
彼の何かへと寄り集まる、陰の気配とやらを案じてのこと…と、
自分の中にて定めているのも、

 “……言い訳のようなものかも知れぬ。”

パジャマを通してじんわり伝わる、
温みとそれから確たる肉感へ、
愛おしいとの想いが沸くのとほぼ同時、

 「……っ。」

窓に掛かったカーテンの外、
陰ったはずの月光の中でもそれと判った大きな影の滑空に、
見もせず気づくと、そのままするすると意識を研ぎあげる勘兵衛で。

 「……クロ。」

 《 此方に。》

静かな呟きを拾った声は、肉声ではなくの頭へ直接届いたそれであり。
何かしらのまじないでもかけたかと思えたほど
するするするっとの速やかに、
カーテンという幕へ、窓枠の陰影がくっきりと蘇る。
いやさ、それだけの光量か、はたまた生気を放つ存在が、
風が月から雲を払うよりも素早く、
天穹を背に負い、翔ったということか。

 《 妖異は久蔵殿が追うておりますれば。》

 「うむ。」

やはりかと、二つの意味合いからの納得を得、
さて自分はどうしたものかと、
こちらの脛へと触れている 相手のお膝の丸みを愛でつつ、
思案を巡らせていたものの。

 「……っ。」

そのままむくりと起き上がり、
寝床へ残した連れ合いの身へ、腕を立てての覆いかぶさると、
天井から突き抜けて来た何物か、
鋭い爪が襲い来たのへ、庇う姿勢を取っており。

 《 御主、無事か?》
 「ああ。そちらこそ、よく話せる。」

鼻の頭へしわを寄せ、そりゃあ鋭い牙列を剥き出しにして、
陰体の大妖の突入を阻止せんと、
すんでのところで尾を咬んで引き留めたクロだと判る。
あと少しという至近まで迫ってのこと、
寝室の天井近くの空間を空振りした大爪は。
強いて言うなら猛禽のそれを思わせる形の足に、
それは禍々しい墨色に浸された切っ先を各々張りつけていて。

  き、きしゃあっっ、と

感知する能力がある者へは相当に耳障りな奇声を張り上げると、
悪あがきか抵抗か、じたばた空を掻き続けたまま、
現れた天井へ吸い込まれていってしまったは、
その身を覆う実体持たぬ、陰世界からの乱入者。
自然世界の生気が何かの弾みで集まってか淀んでか、
微妙な力得て発したものだったり。
そうかと思や、人の思念が凝ごって固まった代物だったりと。
一つ一つがそれぞれに、突飛だったり異様だったりする相手だが、
困ったことには、それも永らえたいとする本能からか、
霊的な力の強い者へとふらふら集まり、
それなりに力のある存在の場合、
その寄り代を独占したいか、食らおうとするから始末に負えぬ。
今の今起きたのもその類い、
途轍もない才や勘があってこそ 難を逃れられた急襲だったのであり。
当事者でありながら一切気づかぬままに眠り続ける青年の、
その身の何処にどのような素養があるのやら。
季節の変わり目や、妙に風の暖かい夜陰なぞ、
護衛の不意を突くように、
結構な存在がその牙や爪を伸ばして来る事態が、少なからず続いており。
自覚がさっぱりとない以上、
本人に聞く訳にも行かないのが
場合によっては歯痒かったりもするのだが。

 “察知出来たほうがいいものか、どうか。”

当人には何の自覚もないのが、
勘兵衛としては いっそ善しことと思えてならぬ。
あのような得体の知れぬものに、
のべつまくなし襲われ狙われているなぞと、
意識したなら とてもじゃあないが心静かにはいられなかろうし。
自分の身への何やかや以上に、
周囲への余波やら面倒やらを考えそうな青年だけに。

 「……。」

他での繊細さや気の回りようが、
こちらへはごそりと抜け落ちていてくれてよかったと。
勝手な言いようかも知れぬ、
逆に 何なら全部無しならばと願うべきところ、
現状で最善とする、豪気な壮年陰陽師殿であり……。







夜陰の垂れ込めようは、
まだまだ冷ややかなそれじゃああったが。
それでも、冬場の尖りは失せての、
すっかりとまろやかな感触が心地いい。
眼下の町並みのところどこ、
先の嵐でも辛うじて居残った八重桜や枝垂れ桜が、
ほんのり白く浮かび上がって見えるのもまた、
月へ“来よ来よ”と誘うものか、
一種 幻想的で儚くも妖しい眺めだが。

 《 …っ。》

月光と星影と、時折 吹きすぎる風の囁きと。
家並みや樹木からも ずんと離れた空の高み、
それらだけが息づく静謐の中を、
痩躯をさらに絞り込むようにし、
疾風もかくやとの素早さで翔っていた存在が。
唐突に何を察したものか、
放たれた矢のように一直線、
ただただ真っ直ぐ進んでいたその進路を 大きく脇へと逸れさせると。
ところどこ、ずば抜けた跳躍も発揮してつないでいた突進を、
それもまた勢いよくの急停止へと持ってゆく大妖狩りの久蔵であり。

 「…。」

あの青年の護衛役だという義務感はさらさらない。
強いて言うなら、成敗するに足る輩を片っ端から屠っているだけ。
ぼんやりと漂っているよりは随分と引きのいい対象、
そんな意識しかしてはいない…はずなのだが。

 「……。」

だがだが、
例えば、ほれお食べと手際よく差し出される、
甘煮の魚とつやつやご飯ののったお匙は、
他の誰から食べさせてもらっても ああは美味くないだろうと思うし。
白くてきれいな手で よしよしと撫でられると、
背中もお腹もほこほこ温もっての そりゃあ心地よくって。
どんな真綿の寝床よりよく眠れる、心からの安らぎをくれるし。
やんちゃが過ぎてのお説教の最中でも、
こちらのしおらしい様子にたまりかねては、
口許が震え出しての、ああもう、この子はもうと、
抱っこしてくれる唐突さは、失礼ながら可愛いなぁと……

 「……っ!」

宙を切り裂くようにし、風籟をまとわせて滑空して来た何かを、
上段から足元近くへという
斜めの薙ぎ払いで鮮やかに跳ね飛ばすお顔は、
鋭と冴えての、それが既に斬撃のよに豪烈なそれであり。
月から降る光のみという宙を、くるくると回りつつ跳ね飛ばされたは、
鋭く尖った錐形の何かだったようで。
廻る時々に月光を浴びての濡らされつつ、
あっと言う間に遠い夜陰へと飲まれて消えて。
そのまま少しばかり頭上の方を見上げた紅の双眸の先、
小さな小さな点のような何かが、
視野の中へ灯ったと思った次の瞬間には、

  轟っ、と

そんな遠くからよくもまあ狙いを違えず飛んで来たものと、
そういう意味でも驚くべき精緻な躍動。
先程の爪のような何かを放った本身だろう、
途轍もない速さに身を絞られた姿は何物とも言い難いものの、
銛のような鋭いクチバシつきの頭から察するに、
鳥の係累らしい妖異が一頭、
人の世界の砲弾もかくやという瞬発で、
こちらの間際にまで迫っていたけれど。

 《 …。》

逃げ果せるは不可能と察しての逆襲か、
それとも、もしかして…こちらの不意を突いたつもりなら、
それこそ驕るなとの失笑さえ
浮かべることなくの無表情なまま。
先制の爪だか牙だかを跳ね飛ばした所作のまま、
懐ろが大きく空いていたはずが、

 《 甘い、な。》

制止したことで裾や袖口からゆらりとたなびく、
五色七彩の小袖もゆかしい姿の、
一体どこへそうまでの膂力を隠し持っている彼なのか。
月光を半分浴びての、横顔が明と暗とに塗り分けられし
それはそれは美麗なもののふ。
振り抜いた格好の利き腕ではないもう片やにて、
同じ細身の太刀、逆手に握っていたそのまんま、
今度は下から上へと蹴上げるように、
ぶんっと勢いよく切っ先で撫で上げたれば。

  ぎいゃああぁぁあ………っっっ、との絶叫 長々と轟いてから

月夜の只中で、ぱんっと弾けた陰体の妖異。
和画材の金泥が飛び散ったかのように、
暗がりの中を派手にばらまかれたものの、

 《 案じずとも、地へ落ちる前に昇華しての消えてしまうぞ。》

文字通りの“切り捨てた”ことへ、
今になって何かしらの案じを覚えたか。
宙に浮かんだ身のその足元を
じいと透かし見ていた金の髪した大妖狩り殿へ。
後から追いついたらしい大きな狛猫、式神のクロ殿。
狼かキツネを思わすフォルムながら、
ちょっとした小屋ほどもあろう巨躯を、やはりふわりと浮かせたそのまま、
性根の悪い邪の存在の、二体いた片やを、
結構な大追跡ののち見事に成敗した狩人さんの労をねぎらえば。

 《 ……。》

そかと短く瞬いてののち、
対魔用の太刀をほいほいと二本とも、
中空へ放り上げ、溶かし込んでの片付けてしまうと、

 《 …vv》

これもこのごろのお約束。
ふんわりつややかなクロ殿の毛並みへと、
飛びついての ぱふんとダイブをし。
さあさ、帰ろう帰りましょうと、迎えの車扱いの久蔵なのへ。

 “まま、これほどの御仁に懐かれるのも悪くはない。”

クロ殿のほうにも異存はないようで。
さて、では帰ろうかと、
するりと感触のいい春宵の夜陰の中、
暖かい寝床を目指して駆ける、大きな大きな影一つ……。







   〜Fine〜 13.04.10.


  *おかしい。
   勘兵衛様の勇姿を書こうと書き始めたはずなのに。
   気がつけば、ただのすけべえな、
   もとえ 添い寝しているだけのおじさんになってしまったぞ。
   春の晩には、こういう妖かしも空を飛ぶ某所だということで。

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